与えること
このブログでは、私の師 佐藤康行先生の言葉をきっかけに、気づいたことや日々の変化を記していきます。
人に与え続けないといけないのか
与えるというのを勘違いしないでください。決して、何か自分のものを相手に与えるということではありません。与えて、「じゃあ、もらいました」となったら、何か自分が損したような気持ちになって、いつも損しているような言い方になります。
それは、決して人間関係がうまくいくコツとは言えません。自分ばかりごちそうしていたら、向こうもだんだんそれを期待するようになって、顔を見たら「ごちそうしてくれ」って言われるようになって、だんだんだんだん人間関係がうまくいかなくなります。それは、まず間違いありません。
与えること、そのものがいただいていることだと思えたら良いわけです。普通、親は子どもにおっぱいを与えます。それはまさに与えているのですが、あげているなんて思っていません。それが一番幸せです。その幸せな気持ちも、この子によっていただいていると思えば良いわけです。
それは男女関係も同じだし、仕事も同じです。お客様のためにやっている、それを、そのお客様にやらせていただいている、そのやっていること自体がもういただいているんだと思えれば良いのです。
なおかつお金までいただいて、もし儲けということがあったら、全部丸儲けだということです。本当に、そのあげていることに喜びを感じたら、あとはいただいていることも喜びなので、全部丸儲けになるのです。
書くことが暫く止まってましたが、またここからスタートしてきます。
今日の職場の中は、すごく落ち着いててホールにはお二人しか残ってません。
こういう時もあります。
昨日の夕方は、みんなで唱歌や童謡を沢山歌いました。
今日出勤後、「昨日は楽しかったねー、何やったっけ?」って尋ねても、みんな首を傾げてます。
毎日、瞬間瞬間の記憶がどこぞにいってます。
まあ、これだからいいんですね、
だって毎回おんなじリアクションしても、大笑いしてくれるし、いつもの笑いネタも初めて聞いたような笑い様です。
かないませんねー
私たちは、言ったことやされたこと、またこれまでの出来事や言われ方に一喜一憂してしまいがちです。
でも、認知が進み、ちょっと前の記憶もないおじいちゃんやおばあちゃんを見ていると、果たしてどちらが幸せなんだろうかな〜
とつくづく思っちゃいます。
認知や物忘れのおじいちゃん、おばあちゃんの方が瞬間を、今を生きてるように感じます。
過去に囚われず今に生きる
おじいちゃん、おばあちゃんに教わったことです。